2010年11月23日

ビートルズが教えてくれた

久々の音楽ネタ。
というかネットネタかも。

ちょっと前にtwitterで話題になってた件について。

無知な若者はいつの時代にもいるし、若者に限定せずとも無知な人間はいくらでもいる。
全てにおいて無知でないとしても関心のないものに対しての知識が極端に欠如している人間はいるし、知識を得る経験が少ない若年層ほどその傾向は強いだろう。
17歳の80%がビートルズを知りませんでした、というような統計が示されたわけでもなく(だとしたら、さすがに深刻な世代間ギャップを語らずにはいられないけど)、The Beatlesを知らない17歳の存在が確認されたという話でしかない。

そりゃいるだろ。不思議でも何でもない。
マルクスを知らない、マルティン・ルーサー・キングを知らない、田中角栄を知らない、美空ひばりを知らない、手塚治虫を知らない17歳は絶対にいる。
いない方がおかしい。

これが「織田信長なんて知らない」だったら、さすがに、君ちょっと何を勉強して来たの?っつう話になるわけだが、The Beatlesはたぶん試験には出ない。
高校生としての実生活上何の不都合もないだろう。
いや、社会人だとしても、仕事でビートルズの話が出ることなんてほとんどないし、たぶん不都合はないのだろう。
一般論としてはこれで終わり。
そーは言っても実際に存在を確認してみると、何だか絶滅危惧種に遭遇したような感覚になるのは仕方がないところか。
上のトゥゲッターの流れを見ると、件の17歳がビートルズを知らないことよりも「有名でない」と言及したことに対する反発があるのは間違いないけど、自分の知ってる世界が全てだと考えがちな人間は世代を問わず存在する。
自分のちっぽけな経験から得られた感覚を一般化して国家論や社会論を語っちゃうような馬鹿はいくらでも存在する。
彼は彼の興味が及ぶ世界においては何でも知っていると考えているのだろう。よくある話だ。
そーゆーものとして捉えれば、客観的に見て大した瑕疵があるわけではない。
彼を叩くのは、彼の年齢も考えるとまさしく「大人げない」とは思うが、むしろ、ある種の偏見に基づいた固定的な世代間ギャップや知っている側の優越感といった特殊論に矮小化して叩いてる奴らの方がイタいんじゃないか。


で、そもそものこの話題の発端である「ビートルズを知っていること」が常識かどうか、という点については、感覚的なものではあるけどやっぱりある種の常識と判断すべきなんだろうと思う。
何でそー思うかっつうと、自分たちの前後の世代ならだいたい知ってそうだし、自分が教えたわけでもないのにうちの子供たちでも知ってるからという割と個人的な経験を理由にした薄弱な根拠でしかないのだけど。
うちの子供たちの場合はたまたま中学で使ってる英語の教科書に載ってるというのが大きいと思うんであまり汎用性はないのだが、そーゆー汎用的な素材として成立する程度に圧倒的な知名度があることは事実だろう。
では、それが世代から世代へ個人的な経験として伝わって行く蓋然性が相当に大きいかと言われると、ビートルズ自体はこの世に存在しておらず、そのメンバーも既に誰も現役で活動していないのだから、期待値としてはそれほど高くないと言うべきだろう。
一方で歴史的事件としてビートルズが共有される蓋然性もまた、現代史や現代音楽が義務教育の中で必ずしも重要な位置を占めていないこともあって、決して高くない。
活動停止後40年間も彼らの知名度が高止まりしていた(ように感じられる)のは、彼らに関する事件がその知名度を前提にして一般マスメディアで大きなニュースとして扱われるからであって、それも2001年のジョージ・ハリソンの死以降、少なくとも日本においては一般に十分受容されるだけの規模の事件はなかったように見受けられる。
ということはつまり、今後マスメディアに由来したブームでも来ない限り、常識としての認知度は下がっていかざるを得ないのかもしれないという思いはある。

それも歴史の必然だが、近い将来、ビートルズがモーツァルトやベートーヴェンのように義務教育課程の必修項目になる可能性は決して低くはないと思うので(というか、20世紀の音楽史・文化史の中でThe Beatlesの登場が特筆すべき事件であることもまた間違いないと思うので)、もう少しの辛抱なんじゃないかっつう気はする。
自分はビートルズ自体はそんなに好きじゃないけど、ビートルズが風化しちゃうというのはやっぱりちょっと寂しいなと思う程度のロックンロールフリークではあるので。


閑話休題。

The Beatlesの偉大さの客観的な源泉がどこにあるのかというと、「多くの人に支持された」というその一点にしかなく、それはもっとわかりやすく言うと「めちゃくちゃ売れた」ということである。
で、The Beatlesがそれまでの「めちゃくちゃ売れた」ものと何が違ってたかっつうと「ロックンロール・バンド」で「ターゲットが明らかに低年齢層」だったということ。
The Beatles以前、レコード会社はそのような戦略がマーケティング的に成り立つと思ってなかった。
"Rock around the Clock"はちょっとした色物でしかなかったし、Elvis Presleyは子供たちへの悪影響を指弾されることを恐れてターゲットを意図的に上げていった。
The Beatles以前、子供たちが聴いていいのはFrankie Avalonであり、Paul Ankaであり、Connie Francisだったのだ。
彼らはティーンエイジ・アイドルであったが、親が子に買い与えることを躊躇しないであろう程度の健全さを保っていた。
つまり消費主体としての権限はあくまで親にあるという考え方だったのである。
(もう一点、The Beatles以前のポピュラーミュージックのパフォーマーは「歌い手」と「バックバンド」の組合せであって、そこには明らかに主従関係があった。メンバー全員にスポットが当たる「バンド」形式の成功が当時のティーンエイジャーたちのDIY精神にポジティヴな影響を与えたことは間違いないが、それを述べるのが本稿の目的ではないので割愛。)
The Beatlesはその常識を打ち破った。
The Beatlesの受容に関しては、その時点で明らかに世代間ギャップが存在したのである。
いや、むしろそのキャリアにおいて、世代間ギャップはThe Beatlesの売りの一つであったとさえ言ってよい。
それはThe Beatlesに限らず、あの時代のロック、そしてサブカルチャー全てに共通するものであったはずだ(あるいは「あの時代」という限定は必要ないのかもしれないが)。

もちろん彼らの音楽性にセールスだけでは必ずしも測れない偉大な部分があったことは否定はしないけれど、だからと言ってThe Beatlesが世代を超える偉大な文化として受容されるのが必然と考えるのは必ずしも彼らの業績を正当に評価するものにならないのではないか、という点には言及しておきたい。
その存在が20世紀における事件として、常識の範囲に属するものと受容されるべきだとしても。


タグ:ロック
posted by H5 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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